欲が無い、という状態はやばいと思う。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」ですら「サウイウモノニワタシハナリタイ」という欲があったわけで。ストイックかつ慎重な性格なので、やりたい事とかは、一通り、文化人類学的な調査を行う。で、どこに行っても何をやっても世間なんだなぁ、というのは解っていて、やりたい事も音楽以外はとりあえずやってみた人でして、まぁ、要するに何処へ行っても、何をやっても、大体において一緒なんですわ。五感を活用して精密に感じる、よく学び、よく考え努力し技術を磨く、他人に価値を認めさせる結果を出す。問題はそれがやりたい事なのか、そこに愛と笑いが生ずるか、そんだけ。
権力欲とか快楽的な事を求める欲もあんまり無いしなぁ。賞賛されたい欲とか創作欲とかもあんまり無いし、惰性なんだよなぁ、人生そのものが。向上心もない。向上する必要性も感じないし。ていうか、もう結構向上するための努力は惰性ながら限界近くまでやっているわけだし。努力するのが習慣になってるらしい。
やりたい事といったら猫が飼いたいぐらいで、全く無気力そのもの。誰かが「今の若い奴は、知らない事も調べればすぐに解ってしまう。夢もすぐに壊れてしまう。かわいそうだと思う」と言ってましたが、実際そうだと思う。なんか若いうちから色々やりすぎたと思う。ああ、猫が飼いたいなぁ。
飯を食わなければ死ぬ、という事を知っていても餓死する人がいるのと同様に、心理学的に自分がどういう状態か理解していても意味が無く、猫とかを飼わないと生き甲斐がないまま生きている状態が継続されるので、猫とかが飼いたい。
あと好きな女の人にひどい目に遭わされたい。虐められたい。

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初心を忘れない、というのは大切だとは思うが、初心を忘れないと必ず飽きる。人は忘れる生き物で、忘れないと逆に飽きる。忘れて思い出す方が意外と飽きない。

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俺はどちらかというと、クリエイターというよりは、実践者であり、実践者というよりは学者気質です。自分にとっては芸術は、学術的な理論によって打ち出された実践の主観的な記録でして。だからあんまり創作欲がないんですよ。あまり嘘とかを書くと本質的な面白さはなくなるのも知ってるし。普遍的で色あせない面白さっていうのは真実とか生活の中にあるのであって、創作よりは現実をメタファーしていく作業に近い。パターンなんか出尽くしているから、過去に創出されたパターンの現代的アレンジっていうか。メタファーとかアレンジする時ぐらいですかね、創作と呼べる行為をしているのは。

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うおー、すげーじじ臭い日記だなぁ、これ。