「自己愛」と「自己愛の流出」を使えば、この世に存在するだいたいの精神的な活動が説明できると思いますが。
僕が芸術には善悪がある、と言うのは、この自己愛の流出というものの最終地点に到達している人は、それを芸術に昇華しているからです。逆に言ったら、芸術とか愛の正体は自己愛なので、芸術というものの価値は、受け手にどれだけ快楽を与えたか、という事になります。
ただ最終地点にいる人は、通過地点の事も描けるので芸術に善悪があるというよりも、芸術家に善悪がある、という事かもしれませんね。善悪っつーか、良し悪しというか。スタンス、技術というのは全く別のものです。純文学においてはスタンスの方が重要なんですよね。そもそも自己愛(自己の精神)の最終地点を目指すのが純文学なので。
うーむ、自己愛って言っても自己愛の流出先は、自分にとって価値的な何かだったりするわけで、尊敬とか謙譲とかがないと成り立たないというのも確かです。自己愛ったって、エゴでもないし、相手が誰でもよいわけではないし。あと自己愛、もしくは自己愛の流出先が無くなってしまうと、人間はたいてい自殺したくなります。矛盾するようですが潜在的な自己愛が強ければ強いほど、自殺願望も強くなりますし、他人を愛する能力も強いはずです。
愛の色々な状態には、科学的説明が可能なわけで、あまり心理学的な事を無視して「愛」とかをテーマに芸術をやっても、本当の意味での癒しだとか救済にはならない気はする。
まぁ、解りにくいか。一応こちらも「白濁愛権化旗手」を名乗っている身だし、きちんとした文章としてまとめる気なので、いずれ書きます。

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先輩の芸人がサイトで日記をつけているが、日記の出来事に俺も立ち会っている事がたまにある。会話とか、すごい自分に都合がいいように解釈しているのがよく解って面白い。悪い人じゃないのは解ってるんだがなぁ。
俺も都合よく解釈してるように見えるんかなぁ。

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今週の少年サンデー「勝手に改造」。「かわいそうぶるな」というテーマ。僕はかわいそうぶってるのだろうか。思考の記録というのを精密にやろうと思って書いているが、他人にはそう見えるかもしれないなぁ。泣き言を言う者は人望を失くす、というのは間違いない。ただ、本当に俺1人ではどうしようもないという場合のお願い、懇願を泣き言だと思われる事があるので、どうしたら誤解を生まずにすむんだろうか。
言い訳は最も恥ずべき敗北の姿であり、努力を忘れるというのは最も恐るべき堕落であるとは思います。気をつけよう。

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泥酔したあげくにトイレで卒倒。2分ほど気絶していた。缶チューハイ一本でこんな状態になると思わなかった。最近はあんまり憂鬱も解消されてきた気がするし、禁酒するか。

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「清く正しく美しく」という思想は、人間にとって、最初の味方であり、最後の敵である。

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妥協を妥協なく日記に書き付けるという行為は、果たしていいのか、悪いのか。

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「いずれ地球も太陽もなくなってしまって、それどころか宇宙の全ての星が燃え尽きてしまって、最後は絶対零度の暗闇になるんでしょう。どうしてかしら?」
「善くあろうと戦う者に休息を与えるため。悪しき者の失敗を無に還すため」
蹂躙せよ。最後の原子の止まるまで。