鶴田謙二「アベノ橋魔法商店街」

うわー、やられた。巻数書いてないから1巻で完結だと思ったら未完だし。なめてんのか。殺す。
そこそこ面白いけど。

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見栄やら虚飾が嫌いな人がいて、いわゆる「精神的な豊かさ」というのを礼賛する馬鹿がいるが、なんのことはない。どだい、文学や宗教だってファッションだぜ。

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あー、もう本当にこの世には絶望と孤独しかないよ。おさらばしたいなぁ。しかし、どうせ俺が死んでも、勝手に俺の死を勘繰ったりして屈辱的な事を生きてる奴らが好き勝手に言うのかと思うと腹が立つ。
俺が死んだ時は、俺が俺自身に敗北しただけであって、それ以上でも、それ以下でもねぇんだよ。誰のおかげでもなければ、誰のせいでもない。
しかし、世の中って奴は「原因」だの「責任」だのが好きだからね。今、死ぬと迷惑をこうむる人がいるから、死にたくても死ねやしない。自殺にすら完璧な自由がないんだから救いがないよ。もう本当に天国にしか興味がないのに。

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キンコロ飽きた。ボブ・サップバーリトゥードなのに、オクラハマスタンピードとかやるんだもん。嫌になった。
昔から僕を知っている人は僕がどれだけ色々な企画やら方向性やらをサイトでやり、どれもすぐ飽きたという事は知っているかと思いますが、また飽きました。
要するに何をやっても飽きる、という事が解りました。生きる事にも飽き飽きしてきました。本当に飽きない事を見つけないと生き甲斐がない。ああ、どうしよう。

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家賃を延滞しているので、ついに催促の電話がきた。
同居人の先輩が大阪で就職活動してて、なかなか家賃払ってもらってない。なんか色々あって、ようやく口座に振り込んでもらったが、紆余曲折だったなぁ。前も俺が立て替えたりとかしたし、正直、適当だなぁと思う。
僕が片思いしている女性がいて、その女性が片思いしているのが、この同居人の先輩なので、なんというか、あまりそういう情けない姿を見せられると、頭が破裂しそうになり、生きていく気力がどんどん萎える。
別に魅かれる理由も解るし、悪い人じゃないのも知ってるから逆恨みする気にもならないけどさ。なんかやっぱり嫌にはなる。好きな女を振り向かせる力のない自分の情けなさが一番嫌になる。

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なんで綿矢りさがむかつくのか考えてみた。
綿矢りさは「太宰治が好きでインタビューで名前を出したり、墓参りに行ったことがあるというのはニュースで見た」が「森鴎外は読んだことがなくて、森鴎外の墓参りに行ったことがあるというのを僕は見聞きしたことがない」。
太宰治森鴎外の墓は向かい合ってるわけだから、物理的な手間というよりも参る人の心理が重要ですね。要するに綿矢りさ森鴎外に興味ないし、ついでに墓参りしたかもしれないけど、それはどうでもよかったってことですよね。
で、太宰治森鴎外は好きなわけで、太宰治という人の思想を省みるに「太宰治は読むけど森鴎外は読まない」「太宰治の墓には参るけど森鴎外の墓には参らない」という行為は、僕にとっては「太宰治という人の思想を理解していない。別に真心とかない。口だけの女」ように見えるわけで「そんなプロの小説家が太宰治が死ぬほど欲しかった芥川賞をもらって太宰治を語る」という行為に対してすごい腹が立つ。だから僕は綿矢りさがむかつく、わけですね。
太宰治の墓には参るけど森鴎外の墓には参らない・・・。死人に口はないけれど、あったら墓の下の太宰治は何と言うだろうか。いやー、それを想像すると面白いね。
作品よりも本人を取り巻く状況の方が面白いうちは作家というよりアイドルですね。まぁ、自分がピエロ要素のあるマスコット的存在である事にも気付きだしてる頃だろうし、次の作品で化けるかもしれないなぁ。着飾った苺の悲しみを描いてほしいなぁ。それこそ綿矢りさにしかできまい。

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太宰治「ダス・ゲマイネ」より抜粋
「僕はあなたに精神を感ぜずに世間を感ずる。芸術家の気品を感ぜずに、人間の胃腑を感ずる」
「わかっています。けれども、僕は生きて行かなくちゃいけないのです。たのみます、といって頭をさげる、それが芸術家の作品のような気さえしているのだ。僕はいま世渡りということについて考えている。僕は趣味で小説を書いているのではない。結構な身分でいて、道楽で書くくらいなら、僕ははじめから何も書きはせん。とりかかれば、一通りはうまくできるのが判っている。けれども、とりかかるまえに、これは何故に今さららしくとりかかる値打ちがあるのか、それを四方八方から眺めて、まあ、まあ、ことごとしくとりかかるにも及ぶまいということに落ちついて、結局、何もしない」
(中略)
「太宰さん。附け鬚模様の銀鍍金の楯があなたによく似合うそうですよ。いや、太宰さんは、もう平気でその楯を持って構えていなさる。僕たちだけがまるはだかだ」
「へんなことを言うようですけれども、君はまるはだかの野苺と着飾った市場の苺とどちらに誇りを感じます。登竜門というものは、ひとを市場へ一直線に送りこむ外面如菩薩の地獄の門だ。けれども僕は着飾った苺の悲しみを知っている。そうしてこのごろ、それを尊く思いはじめた。僕は逃げない。連れて行くところまでは行ってみる」