灰とダイヤモンド 1

「昔は、ダイヤモンドにも、価値があったらしいがな」
 男は、小さく呟いた。愛想に欠けている声。まだ若い。名はスロウ。顔見知りの女と、他愛も無い話をしている。
 場所は、宇宙船ムジョルニアである。


 ムジョルニアでは、ギャンブルが流行っている。人も死んでいる。しかし、政府は、それを放置している。理由は簡単だ。そもそも政府が胴元なのである。
 弩級大型移民船として企画されたこのムジョルニアは、当ての無いままの出航を余儀なくされ、当ての無いまま、宇宙を漂流し、そのまま八十余年が経っていた。三十万人を乗せたこの巨大な箱舟は、発電施設の老朽化に頭を抱えていた。
 水や空気ですら不足するようになり、あらゆる物資が配給制となった。いつしか金銭は、価値を失い、電子化された配給券に取って代わられ、一枚で一日分の物資と交換できるそれは、ワン・デイ・チケットと呼ばれ、それだけがムジョルニアでの富となった。


 チケットは、すぐにギャンブルの対象となり、死者を出した。社会問題になったが、リスクを抱えてもチケットを得たい者と、艦内の人口を抑制したい政府の利害は合致し、むしろ政府が、ギャンブルを推奨し、そのものを運営した。
 無限の宇宙をさまよう薄暗い宇宙船の中で、十数万の人々が、息をひそめ、ただひたすらに、黙々と、ギャンブルをし続けていた。ムジョルニアは、そんな場所である。


スロウは、話を続けていた。目の前の女の名前も知らない。
パワーストーンってのが、嫌いなんだ。結局、ダイヤモンドが最高で、万能のお守りだっていうんだ。大昔には、ダイヤモンドが、高価だったから、そう言い張っていたんじゃないのか?だとしたら、迷信にしたって、根拠が無さ過ぎる」
 たまたまカフェで同席した女だ。いつも『ルーレット』で見かける女で、スロウと同じくらい若い女性は、かなり珍しく、目を引く。スロウも同じ理由で目立つ。お互いなんとなくの顔見知りという訳だ。
「それが『ルーレット』をやる奴ときたら、ほとんどが、お守りのつもりなのか、ダイヤモンドの数珠やら十字架やら、ぶら下げてやがる。ダイヤモンドたって、ゴミを炭化させて作った人工ダイヤモンドだぜ?ゴミぶら下げて、ギャンブルに勝てるってか?」
 女は、たまに相槌を打つ程度で、ただ微笑んで、ホットココアを口にしていた。やがて、彼女は、席を立った。
「そろそろ時間。お話、楽しかったわ。またね。わたしは、マーリル」
 スロウだ。と、名乗りながら、彼は、少し饒舌になりすぎた己を悔いていた。マーリルは、楽しかった、と言ってはいたが。
 黒い髪を揺らしながら歩くマーリルの後姿を見送りながら「今日の勝負は、冷静に行えるだろうか」と、彼は考えていた。


 『ルーレット』のルールは単純である。駆け引きも無い。
 円形の廊下に、多数の扉があり、参加者は好きな扉に入る。扉の奥は、小さな個室になっていて、中にはイスが一脚。参加者は、ただ座ってさえいればいい。時間が来れば、自動で抽選され、一箇所のみが『はずれの部屋』となる。
 はずれを引いた者は、ペナルティをワン・デイ・チケットで支払う。はずれを引かなかった者には、支払われたチケットが分配される。ルールはそれだけだ。参加者の数やペナルティの枚数によってギャンブル性は変化し、レートは、幅広く存在する。
 はずれさえ引かなければ、確実にチケットの配当が見込めるルーレットは、勝率が極めて高く、人気があり、住民の大半が経験する最もポピュラーなギャンブルだが、『たった一人の敗者が、勝者全員の勝ち分を支払う』というルールの性質上、はずれを引いた敗者の中には、破産をする者も多く存在する。
 ワン・デイ・チケットは、電子化された配給券にすぎないが、それと同時に、金銭であり、食料であり、水であり、空気であり、『生きる権利そのもの』である。破産は、死を意味する。
 破産者は、逮捕され、受刑施設で、危険な船外労働に従事した後、冷凍睡眠措置を受ける。そして、そのまま二度と目覚めることは無い。政府の目的のひとつは、これで、一人でも多く、人口を減らしたいというのが彼らの本音だ。慈悲は無い。
 だから、ルーレットの小部屋のイスにはボタンがひとつ、付いている。これは、敗者が押す安楽死のためのボタンだ。押せば、一瞬で死ねる。そういうボタンだ。
 押せば、その瞬間には、人ひとり、もう灰になっている。


 スロウは、毎日、ルーレットへ通っている。
 24時間ごとに、チケットは、配給されているので、特に目的が無ければ、部屋で、じっとしていても良いのだが、使える電力の量も限られているし、かといって、街頭テレビを集会場で見るのも性に合わない。朝食を摂って、しばらくすると、なんとなくルーレットホールに足が向かっている。そんな日々を続けていた。
 彼は、他の人間のように、ゲンを担いだり、お守りを持ったりすることは無かったが、いつの間にか、近所にあるカフェでホットココアを飲んでから、ルーレットへ向かうようになっていた。甘いものは、脳の働きをよくするだろうし、冷静な判断ができるような気がしていた。まぁ、ジンクスといえば、ジンクスだ。
 顔見知りでしかないマーリルと同席したのも、ホットココアを飲んでいた彼女に親近感を感じたからだ。スロウは、ココアのような飲み物は、温めて飲むべきだと考えているような人間だったが、彼が気に入るようなココアを出す店は、少なかった。マーリルの好みは知らないが、あれ以来、ホットココアを飲んでいる彼女に出くわすようになった。彼女もルーレットに出かける日には、この店でココアを飲んでいるらしい。ふたりは、カフェで世間話をする以上の関係にはならなかったが、彼女を見かける度に、マーリルが、まだ生きている事に安心している自分自身を、スロウは、自覚していた。


(またそのうち続きを書きます)