しばらくばあちゃん家まで泊まりに行きます。

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信念だとか順位だとかでバサバサ人を斬っていく必要な無いと思うかな。それは何も生み出さないし、人を斬った時点で自分も人斬りになってしまうわけだし。エンターテイメントに関しては人にどれだけ奉仕できたか、なので、客が勝手に順位をつけてくれるわけで、それが結果の全てなんだろうなぁ。
ただ文学とかパンクにおいては「自然=自分がとらえている世界観」を表現するジャンルだからどうしても毒気は出てきてしまうわけで、その過程で人を斬らないといけないカルマを背負うのは仕方ないわけでして。人斬りにはならざるをえないと思います。まぁ、文学やパンクですら、無頼派の小説読んだり、セックスピストルズなどのパンクを聞いた結果として他人には「勝手にしやがれ」と言うしかないと思う。他人を全肯定していく先には、ある種の「突き放し」しかないと思う。
あと「人を斬ろう」とした思った瞬間に、人間は、人を斬る資格を失い始める、と思う。老いが始まり、若者でなくなり始めると思う。ただ自分よりも人を斬る資格があまりない人間が、人を斬ろうとすら思っていない人々を斬っていた時は、罪を承知で戦わないといけない気はする。
少なくともお笑いにおける結果というのは客が笑ったかどうか。自分が信念を曲げてまで客を笑わす必要はないけど、信念の範囲内で平等な笑いは追及するべきではあると思う。解らない客も笑わせつつ、解る人には解るものも発信するというか。松本人志なんかも「自分の面白いと客の面白いが重なっているのは4%程度。そこの追求」という話をしていたという話は聞いたことが。
まぁ、エンターテイメントの世界においては、よっぽどのことがない限り、他人を斬らんでもいいと思う。でも若者は護ってあげないといけないと思う。

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後輩の誕生日だった。皆で祝う。大人になったら誕生日を祝う意義が解るかと思ったがそうでもない。まぁ、祝ってみた。解らんけど、いい娘だと思う。が、困難な生き方をしている、と思う。幸せになって欲しいと思う。この世は生きることを素晴らしいと思っている人間に対してずいぶん酷だと思う。無意識で美しい人たちが突然、意思を持った瞬間に醜くなったりするのも悲しいと思う。自分もきっと醜いのだと思う。もっと頭が悪くなればよいと思う。葦が何を考えようが実はどうでもよい。自然とは何だろうか。

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綿矢りさ蹴りたい背中金原ひとみ蛇にピアス」再読。うーん、改めて読むと、だいたい同じ内容だわな。自分らでこういう決着をつけているということは、もうババァの始まりなんだよなぁ。で、この人生観か・・・。前向きだわな。羨ましい。まぁ、こういう人らは大抵破滅することになっているけども。世の中をなめていると思う。太宰治の「ダス・ゲマイネ」にさっぱり及んでいないと思う。やはり自分は日増しにえらいことになってしまって、生きていけるように思えない。というよりも生きる必要性を全く感じない。が、死ぬべき時に死ねなかった。今更死ぬぐらいなら生きた方がよい。無垢を、どんどん恋する能力を失ってしまっている。白いはずが汚濁し、新しいはずが封切ったら中古になった。白濁。前が見えない。というか見る必要もない。見なくても解ってるんだ、自分の往く道は。この世に悪があるかどうかさえ疑っていたあの頃に戻りたいな・・・。未来はない。今もない。過去はぼんやりしている。

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あと、やっぱり世の中は、若い人や、発展途上の人に酷だと思う。なんでそんなに糞真面目になって、そういう人たちを吊るし上げるのだ。