娘井戸と井戸娘

 その村に乾季がやってくれば、人々は、逃げるように移り住むのが当然でした。しかし、いつのころからか、彼らの村からは、渇きというものが無くなったのです。乾季が訪れると大地がひびわれ、泉も干上がってしまうこの地域では、それは奇跡に等しい出来事でした。いえ、実際、それは奇跡だったのです。
 村を潤したのは、ひとつの小さな古井戸でした。太陽が焼きつけ、何ヶ月と雨も降らないのにも関わらず、その井戸には、こんこんと水が、たっぷりと湧き続けているのです。村人たちが娘井戸と呼ぶ、この井戸には、やはり人智では計り知れない秘密があるのでした。
 娘井戸には、こんな言い伝えがあるといいます。かつて、乾季のための移転の準備が整う前に猛烈な日照りが村を襲ったときのこと、一人の娘が、雨乞いの生贄として、ささげられました。その後、人柱のおかげかは判りませんが、雨が降り、村人たちは救われました。しかし、それからすぐに村はずれの枯れ井戸から生贄になった娘の声が聞こえてくるという噂が、村中に広まったのです。その話を伝え聞いた一人の男が、枯れ井戸を覗き込んでみると、確かに、か細い人の声のようなものがする。一思いに井戸の中に下りた男が見たものは、壁に張り付いた人間の顔でした。そして、その顔は生贄の娘そっくりでした。
「さみしい」
 それが男に対して放たれた言葉なのか、独り言なのかは誰にも分かりませんでしたが、娘の顔は、ただ一言そういうと、涙を流しはじめたといいます。それからというものの、この村に渇きが訪れることはありませんでした。乾季の間、枯れ井戸からは吹き上がるように水が湧き出し、それが絶えることはなかったからです。井戸の底に下りた男の話を聞いた村人たちは「これは娘の流した涙に違いない」と噂し、この井戸を娘井戸と呼ぶようになったのでした。

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 しかし、娘井戸の奇跡は、なにも村人たちに幸福ばかりをもたらしたわけではありませんでした。乾季が静まれば、他の井戸とは逆さまに、娘井戸は枯れ、再び、井戸の底から娘の声がしたからでした。「さみしい、さみしい」という、聞いた人の心が真っ暗になるほどの悲しげな声は日を追うごとに大きくなり、その巨大な泣き声には村人たちの家庭の幸福を破壊することなど、造作もないことだったのです。
 「これではたまらん」と参りきった村人たちは、話し合いの末、生贄の少女と同じ年頃の娘を井戸の底に送り込み、話の相手をさせることにしたのです。すると、井戸の底の娘の亡霊は、慰められ、泣き叫ぶということもなくなりました、それ以来、毎年、この村では年若い娘を一人選んで、娘井戸の底へと送ることにしたのです。
 何十年という月日がそれから経ったといいます。ある年、またひとりの娘が、娘井戸の番に命ぜられました。そうして、選ばれた娘は恐怖と興奮のないまぜになった胸を押さえながら「さみしい、さみしい」と声のやまぬ、暗い井戸の底へと下ろされていきました。
 娘には、はじめ暗黒しか見えませんでした。しかし、次第に目が慣れていくと、入り口からわずかに入る陽光を感じ取ることができ、物が見えるようになってきました。徐々に鮮明さを増す視界の端に蠢くものが映り、娘はそちらへと向き直ったのです。すると、壁の凹凸がまるで人の顔のようになっている箇所があり、その凹凸の一部が蠢いているように見えたのです。さらに目が慣れてくるとはっきりと、それは少女の顔に見え、唇のような突起から「さみしい」という声が漏れていたのでした。井戸に下ろされた娘は、かくして言い伝えの真実なることをその目で確認したのです。
 井戸に下ろされた娘たちの仕事とは、亡霊の話相手でした。壁に乗り移った少女の亡霊になにか話を聞かせて慰める。それが彼女らに与えられた使命だったのです。今、新たに井戸の底に下ろされた娘に与えられた役割も例年とそれと違いなく、娘は「さみしい」とうめく(亡霊は目がほとんど見えていないようでした)(そもそも亡霊に目があるのか、という事が問題になりますが)亡霊に向かって、おそるおそる話かけました。
「はじめまして。わたしは・・・」

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 娘が井戸の底に下ろされてから、1ヶ月近くになろうとしていましたが、その間、係の者が井戸に必要な物を下ろしたり、また不要な物を上げたりしておりました。その女は、もう何年もその仕事を続けていましたが、ふと「今年は何か違うな」と気づき、その思いは日を追うごとに核心を深めました。
「どうも井戸の底が楽しげだな」そう思ったのです。世話係も以前は井戸の底に下ろされたことがありますが、暗いやら湿気があるやら居心地が悪く、そもそも亡霊と2人きりで何ヶ月も過ごすのですから、気味悪く、気の狂いそうな毎日でした。井戸の底に下りたことがある他の女に聞いても、皆「怖かった」「もう下りたくない」などと言う者ばかりなのです。しかし、どうにも今年はそういった雰囲気がないばかりか、井戸の底からは談笑する声であるとか、あるいは真剣に語り合う声であるとか、そういったものばかり、耳につくのです。世話係は、どうも変だなあ、と思ってばかりでありました。
 さて、三月が過ぎ、いよいよ娘が井戸から上がる日がやってまいりました。村人が集まり、井戸を囲う社を建て、暗闇で過ごし続けていた娘の目をつぶさないように、まじないで祝福された布を張り日光をさえぎります。そうして、準備が整うと、儀式が始まり、娘が地上へと上げられました。屈強な男たちが縄を引くと、徐々に娘の頭が井戸の口から現れ、頭の次にはどろどろになった体が現れました。そうして、引っ張り上げられた娘は、井戸から飛び出るなり、こう言いました。
「あの人とわたし、まるで姉妹みたい」「ずいぶん仲良くなっちゃった」と。

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 余程、気が合ったのか、それからと言うものの、亡霊から、毎年、同じ娘が指名されるようになりました。一体、2人に何があって、どういう話がされていたのかは、井戸の外からはうかがい知れず、それこそ井戸の中の2人だけが知っていることでしたが、やはり何年経っても井戸からは明るい話し声が漏れていたということです。娘はいつの間にか、井戸娘と呼ばれるようにになりました。
 井戸娘が、毎年、井戸に下りていくので、これから先は嫌な役を引き受けなくてもよいと村の若い娘は皆、安堵しましたし、乾季に娘井戸から溢れる水も増える一方で、村人たちは娘に限らず、老若男女、皆、喜んでおりました。
 しかし、ある年、突然の熱病で井戸娘は、あっさりころっと死んでしまいました。村人たちは慌てました。すぐに代わりの娘を井戸にやろうとしましたが、井戸の様子も何だか変わってしまったように、村人らは思いました。以前のように「さみしい」という悲鳴が聞こえないない代わりに、雑然とした話し声が聞こえるというのです。そうして、また、かつてのように、ある者が井戸に下り、中を確かめることにいたしました。そうして、彼が井戸の底で見たものは、向かい合って語り合う2人の少女の亡霊でありました。井戸娘は亡霊となってなお、井戸の底で話続けていたのです。
 それからというものの、亡霊が涙を流すことも、井戸から水が湧き出すこともなくなり、村人たちは以前のように乾季になると遠くを目指して旅立つようになったということです。