オフ喜利行ってきました。天気が悪くてバスで出かけたので新宿の漫画喫茶に泊まって、今帰りました。
遅刻してギリギリに着いたり(ギリギリアウトだけど)、終わったあとも時間が時間なので一緒に見た人とか知り合いとかとゆっくり話したりできなかったのが残念。
漫画喫茶ではフラガールを見た。

                                          • -

先日、漫画を書いている人と話したり、今日もオフ喜利の合間に「映像ってどういう風に作ってるんですか?」という話をしてたし、それにフラガールを見て、映像作りとは何かというのを考えたのでちょっと書いてみます。
俺の場合は映像に関しては完全に『作りながら覚えた』なので経験と感覚と行き当たりばったりでしか作ってないです。俺の場合は漫画も描いているのですが、漫画の場合も映像の場合も閃いた段階で『画がある』っていう感じですね。頭の中にテレビモニターみたいなのがあったり漫画原稿があったりして、それをいかに実際作るか、っていう感じで、「この話は漫画で作ろう」とかじゃなくて、閃いた段階で「映像」「漫画」みたいなのは決まってて、あんまりジャンルのコントロールはできないです。
そしてイメージどおり100%作れるなんてことはなくて、現段階では30〜60%ぐらいのところをウロウロするぐらいの技術しかないです。そして技術力ってことに関してはちゃんと勉強した人間と比べたらあんまり無いと思う。正直、妄想力と行き当たりばったりだけで作ってるって感じです。妄想力をいい意味で、=センスと考えたらセンスだけで作ってる、とも言えます。

いちおうノンフィクション。昭和40年代、潰れかけた炭鉱が起死回生のアイデアとしてハワイアンセンターを計画し、主人公はフラダンスを踊るダンサー候補たちと先生。もちろん炭鉱夫がハワイアンセンターとか賛成するわけもなく、センター開業は果たしてできるのか?そして素人の寄せ集めはプロのダンサーになれるのか?っていう映画。

すごいよかったです。むちゃくちゃ優れたアイデアがあるわけでもないし、題材もすごく難しいと思いました。やっぱ2006年においてフラダンスってダサいもの。でも、フラダンスのよさみたいなのをちゃんと伝えてくれるシーンがあり、フラダンスいいなぁと思えたし、女優陣がかわいくてよかったです。
女の子がかわいくて華やかな一方、ハードボイルド。炭鉱での貧乏な生活のシーンや、あんなひどいことや、こんなアクシデントがほんとハードでさー、マジ悲惨な感じなんですよね。でも、人生には実際あるんだよね、ああいうハードボイルドなことがさ。不治の病や死でさえ幻想的にリアリティのない形で描かれている映画が多い中、このハードボイルドさは良かったです。
要するに光の要素と影の要素の両方がすごくいい映画でした。ただひとつだけ言うと、次から次へと「アクシデント→乗り越える」というパターンがあまりにも続いたので、最後のハッピーエンドにあたるシーンでさえ「ここでアクシデントがあるのかな」と思ってしまったことかな。


まぁ、とにかく「わかってるなー」って感じ。映像も脚本もベタの領域を出ないといえば聞こえがわるいけど、安定しているし、とにかくセンスというかバランス感覚がいい。実際、ちゃんとしてる映像作品というのは作るのが難しい中、奇跡のようなバランスのよさだと思う。ただこれを上回る奇跡のようなシーンがある映画があったりするから映画は怖い。

ちなみに「ちゃんとしてない映像」の代表が、平成円谷プロ*1の映像だと思う。
これは先日youtubeでたまたま見て「ひどいなー」と思ったシーン。設定とか知らないで、いきなりこのシーン見ただけじゃわからないと思うけど『なんとなくの寒い感じ』っていうのは伝わると思う。
円谷プロっていうのはもう何十年も映像作ってて、それも視聴率を数十パーセントとか、予算数億円とかそういうレベルの仕事をしてきてるわけで、その経験があってこの寒い映像を作れるっていうことに関して奇跡のようにひどいセンスのなさだと思う。こんなん見て笑う人がいたとしたら病気。*2

*1:円谷プロにも面白い人はいっぱいいるし、センスのある人もいるのは見ててわかる。ただ『目玉商品』にあたるものの出来がひどすぎる

*2:「ウインダムに面白い踊りを躍らせる」っていうアイデアそのものは別に悪くないと思うのに・・・