今日はテレビとDVDで結構ネタをいっぱい見た。20本ぐらい。
おぎやはぎさまぁ〜ず次長課長が特に面白かった。バナナマン、三拍子、キングオブコメディアンガールズなども面白かった。

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今日も自分の無力を痛感した一日だった。なんとかならないものか。この凡愚、醜態、失敗、恥辱、敗北。くそぅ、全能になりてー。せめて部活の人ぐらいには迷惑もかけずに生きていきたいのだけれど。畜生。24時間、365日、最善を尽くしたと言いたいんだよな、俺は。
ははは、しかし、今日も俺は、無知、無能。愛どころか、次善を悪と申すならば俺ぁ悪の権化。

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自殺という行為は恒常的な絶望が引き金になることが多いが、恒常的な絶望というのはそれなりの知性と経験がなければ体験しないわけで、それなりの知性と経験を得るためには相当の犠牲が必要なわけで、単純に食物だけでも、空恐ろしくなるぐらいの生物が屠殺されているわけだ。
金銭面なども考えてみるに、俺の父親は妻子を養うためにオーディオルームなどの夢を諦めたりしたんじゃなかろうか、と推察されたり、そもそも俺が生まれるよりもはるか以前、まだ少女だった母は、生理痛に悩まされ「こんなんなら赤ちゃん産めなくてもいいから生理なくしてほしい」ぐらいの事を思ったりもしたかもしれないよね。それだって今日を築くには必要な犠牲と言える。
つまるところ、俺が生まれて絶望する過程において、支払われた犠牲はとてつもないわけで、それを考えると自殺するのも何だか悪いなぁ、と思うのですけれど、それと関係なく自殺したい時には「自殺したい」と思っちゃうわけで、自殺しちゃう時は本当にしちゃうんじゃないですかね。何故なら、究極的には人間の行動は全て悪と言えなくもないわけであり、他人はみんな自分とは関係ないから。というか、俺の意志さえも場合によっては関係ないから。
知性という現実を超えたバケモノを脳髄に飼っている人間は、自己生存の欲求ですら想像の世界にぶちまけ、本来、生存欲は生存する為に使われるのが本当なのだけれど、どういうわけか脳髄がアイデンティティを作り上げ、どういうわけか生存欲は他人に向かい、世界に向かい、神に向かい、未来に向かい、挙句、自分の生存すら欲しなくなり、死ぬ。
俺の精神力は生きる為に使われて当然。だからそれを根拠に胸を張って生きるわけであるが、アイデンティティがあんだよな。俺みたいなポンコツにも。アイデンティティがある以上、こいつと戦って生きていかなきゃならんようだ。アイデンティティが「自殺するな」と言い、しかし、一方で「理想の為には命さえ問題ではない」と言い、何言ってやがる、黙れ、この野郎。
要するによー、死ななければ死なない。どうだ、この無敵の発想。