掲示板に広告書き込みがあったとき、管理人でもないのに何かしらのレスをするタイプの人は、いざというときに事態をややこしくしかねない人かもしれない。

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金が無いので同人誌どころではないなぁ。しかも加筆したくなってきた。せっかくまとめた勢いで印刷したのに、時間が経つと加筆したくなる。
勢いで書いて、推敲したら、あとは振り返らないのが一番なのですけどね。次を書けばいいんだし。

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くそっ。結局は人からほめられたい、愛されたいだけじゃねぇか。それですねてるだけじゃねぇか。おい、そんなに利用されるのが嫌か?要するに淫乱なんだよ。所詮、他人を利用するだけ利用するのが世の中じゃねぇか。自分だって他人を利用してるじゃねぇか。当たり前のことが当たり前に起きているだけだ。愛されたい?馬鹿を言うな。奇跡を望むな。全力を出し切れ。

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よくわからんが、何でこんなひどい精神状態になってしまったのだろうか。とにかく自分も含めて人を信じることができない。こんなひどい敗北はありゃあしない。人を信じることができない人間にあるのは恐怖だけなのに。

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はー、もう政治も見てて嫌になってきた。今、立法されてるようなものを覆すのには軽く見積もっても十年とか二十年ぐらいはかかるんじゃないだろうか。自己規制やら発禁も今まで以上に多くなりそうだし、面倒な時代がくるのかもね。

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愛とは客観性と平等性を持ったエゴである。自己愛、自己生存の欲求の変形である。エゴの変形であるにも関わらず、自己犠牲が見られるのは、客観性、平等性から、自分の無価値に対する失望と自分以上の価値を有する人間の発見が、心理的に発生するからではないだろうか。
他人への称賛が、自分に似た人間に対して与えられやすいのと同じく、愛は無意識、意識的な面において、自分にとって利用価値のある異性、自分にとって都合のいい異性、自分にとって尊敬に値する異性などに向く可能性は高い。
むしろ本能的な性愛の萌芽を意識している場合、意識的に相手を好きになることはかなり可能であると思われコントロールできると自分の経験上からも推察される。
愛の行方。
尊敬の対象の範囲が狭まる、失恋などによって異性なども信じなくなる→自分を含めた全人類への失望、現実の悲惨さの認識によって自己愛の流出がストップし絶望する→自己愛が未来にしか流失しない。未来しか愛せない→未来すら愛せない→完全に自己愛が行き場を失い自己生存の欲求が破綻するor自信を持って自己を愛して生きていく
天才と呼ばれる人たちが自殺したり、傲慢に見えたりするのは最終段階において、自分すら愛していないor自分しか愛していない、という状態に陥るからではないか?