荒木飛呂彦+鬼窪浩久「変人偏屈列伝」

これで1700円は高い。荒木先生が全部の作画担当したならともかく。こういうのなら「栄光無き天才たち」という漫画があったけど、そっちの方が面白かった気がする。

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K-1は、格闘技的には駄目だったけど、面白かった。
曙は、北尾さんが切り開いた「横綱が転向→駄目→悪役へ」みたいなロードを歩んでるなぁ。
やっぱボンヤスキー欠場は痛い。見たかったので。つーかグダグダでしたね。

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以下、昨日書いたもの。

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今日は色々とためになる物を見た。
甲州街道の角地にあるモスバーガーで昼飯を食っていると、隣の席の女の人が、外に向かって手を振ったのが見えた。彼女の視線の先には、青信号になった横断歩道を渡る赤ん坊を抱いた男性の姿があった。夫を店の中で待ち構え、ひとしきり赤ちゃんを愛撫し終えた母の姿は幸福そうだった。そして待ち合わせを果たした若い家族は店を出て、今度は三人で横断歩道を渡って行った。
父に肩車をされ、自分の頭より高く掲げられた我が子を眺める母の姿。愛児と青信号とをきょろきょろと交互に確認する光景が美しかった。

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シベリアンハスキーを見た。「もこもこー!ふわふわー!さわりたい!」とテンションが上がった。毛がもこもこしてる動物はかわいすぎ。

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最高の芸術と、最低の芸術を一日中に見た。最高の方は、周恩来が再編せし雑技団の一角で、権威ある世界一の賞を得ている物だった。まさに至芸。隣国は、伊達に中華を名乗っていない。フィナーレは、一日十時間の練習を四年続けて完成したそうだ。団員の通算鍛錬時間は平均でおよそ五万時間にもなるだろう。世界一の芸術とはそういうことである。他の国ではありえないほどに一生を捧げている。羨ましいとも思わんが凄い。極限までの鍛えだ。
自分の努力の少なさを恥じた。去年一年の鍛錬時間は概ね千二百時間ほどで、この二十年の人生では一万時間にぎりぎり届こうかというレベルだろう。とりあえずあと十年で四万時間ぐらい努力すれば世界一になれるだろうか、と考える。時間は指標に過ぎないが、僕は広義の意味での誠実な努力こそが人を賢くし、強くするものだと信じている。
最低の芸術は、某部の新部長であり、僕の級友であった女性が主催する音楽のライブであった。落研も出演を依頼されたが、いきなりチケット買取は辛いので、今日のところは断って偵察しようというわけだ。で、見てみたが、レベルの低さが異常。プロになりたいとか言ってるけど、妄言もいいところだ。「学校へ行こう」とかのあれレベル。もう芸術とエンタメをなめているとしか思えない質にも関わらず、傲慢にも「○○(←主催者の名前)ライブ ぼくが世界をつくる」というようなタイトルであった。客は、完全に内輪で、他の出演者の演奏は誰も聞かず、一時は、50席のうちの45席目に座っていた僕が最前列になったぐらいだった。はっきり言って、自分の名前を冠するライブで出演者にそういう敗者を作るような奴が、ギターかきならして、愛語ってんじゃねぇよ。
次のライブや、イベントに出演を依頼されたが、もしも今日の出演を断っていなかったら、僕は土下座して部員に謝らなければならなかったと思ったぐらいなので、断った。だいたい部員が見たら、ひどすぎて爆笑すると思う。これで手加減して書いたぐらいのひどさであり、勧誘もしつこかった。
僕は本当に落研で良かった。プロで確かな成果を残している先達がいて、実力のある現役がいて、そして、それに救われた僕がいて。そういう部活で良かった。本当にそう思う。